師範を語る
- 柳心舘 海神支部
- 1 日前
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6月1日の宗家杯演武大会をもって、海神支部を10年間支えて下さいました青柳師範が柳心舘から離れられる事となりました。柳心舘で空手を始められてから実に21年間を空手と共に柳心舘と共に過ごされて来た方です。
青柳師範を語るのに一体何から話せばよいのだろうと悩んでしまう程、魅力溢れる方です。
私が初めて師範にお会いしたのは今から8年前の秋でした。当時幼稚園生だった娘にはバレエをやらせたいと思っていたのですが、「バレエなんてやりたくない!」と一蹴され、当時流れていた少女が空手の型をするCMの影響か「空手ならやってみたい!」と言われ、かつて自分も夢中になった空手ならと海神支部の門を叩いたのがきっかけでした。
初めてお会いした師範の第一印象は“宮崎駿監督みたいだ~”でした(師範すみませんw)。
とにかくお転婆だった娘が礼に厳しい武道をちゃんと習えるのかと、若干不安もありつつも数回体験入門させて頂きました。師範の子供達に向き合う姿勢、そして師範の作り出す稽古場の居心地の良さに、この人にならうちのお転婆娘をお預けできるなと、親子での入門を決めたのでした。
師範の指導は優しく、温かく、親しみがあり、時に厳しさも伝えつつ、笑顔と新鮮さも忘れず、そんな稽古に始めは付き添い位に考えていた私がどっぷり柳心舘にハマっていくのに時間はかかりませんでした。
海神支部に入会して数か月たった頃でしたでしょうか、当時中学生男子の練習生が部活に専念するために空手をやめると報告がありました。師範はその男の子に一生懸命やりたい事があるのは素晴らしい、全力でやりなさい、そしてまた空手がやりたくなったらいつでも戻ってきなさいと優しく伝えたのでした。私はなぜかその時の師範の表情が忘れられません。いつもの笑顔のはずなのですが、どこか寂しそうに見えたのです。きっと寂しいお気持ちもあったのでしょう。でも、師範はいつも練習生の事を、人の幸せを第一に考えられて、最善の答えを出されていたのだと思います。
一方で空手の指導においては厳しい一面もありました。強くなる為に、上手になる為に、何が必要か明確に伝えられていました。それはご自身が突き詰めた鍛錬をされて技を磨き上げたからこそだと思います。演武や稽古で見せるその型には確かに積み上げられた鍛錬とそれに注ぐ情熱と気迫がありました。
師範と共に過ごした日々の中にはコロナ禍がありました。人と話すことはおろか、向かい合う事も、会うことすら責められてしまう時期でした。そんな中でも、師範は練習生が空手をそして交流の場を失わない為に、オンライン稽古を開催したり、感染対策を徹底しながら稽古が出来る環境作って頂いたりと常に一歩先の事を考えて行動をされていました。
師範の魅力は上げればキリがありませんが、やはり一番は何といってもそのお人柄でしょう。師範の周りにはいつも人が集まって、笑顔と笑いに溢れるんですよね。大人も子供も男性も女性も関係なく、いつも真っすぐに人と向き合い、そしてユーモアを忘れない。
私の忘れられない師範エピソードもそんな師範です。
いつしかの地区大会の種目別選手権に師範は柳拳の型の部で出場されていました。確か大人の練習生を打ち破って勝ち進んだ試合で小学生低学年の水色帯の女の子と対戦したのです。いつもの気迫溢れる型を披露した師範でしたが、師範には旗が上がりませんでした。その瞬間、師範は口をとがらせてしょげた顔で挨拶をしたのでした。それを見ていた対戦相手の子も審判も観戦者も全員笑顔になりました。ああ、この人はなんて最高な師範なんだと、なんだか幸せな気分と共に感じたのでありました。
ユーモラスに富んで、情に厚く、ちょっぴり涙もろい。そんな人間味溢れる、師範だからこそ、最後の活動になった宗家杯では様々な方が挨拶に訪れ、大会後にはアイドルさながらの大撮影大会が繰り広げられ、胴上げまでされていたのでしょう。
ここまで、色々と、長々と書いておいてなんですが、もう、師範の良さを語るなんて
野暮でしかありません。触れ合った、関わった皆さんが知っている事なのですから。
そんな師範だからこそ、私も支部長を引き継がせて頂く決心が出来たのです。
離れても、青柳師範はずっと海神支部の心です。
本当に色々とありがとうございました。感謝してもしきれません。
少し離れた場所に行かれてしまいますが、こちらにいらした時は、
いつでも好きな時に稽古場に来て下さい。その時は我々が師範を笑顔にしますので。
新支部長より
